映画ニ学ブ -表現の在り方-

数日前までの怒涛の行軍のぶり返しによる熱暴走で身体の芯が炉心融解したのか、立つ事もままならないので寝転がってても出来る事を… って事で、結果的に映画を観てたり。
結局目は使いっ放しだから偏頭痛の原因は眼精疲労なのかもしれないけど。 (T-T)

そんな中、久々に個人的に「あっ… あぁ。。。 (;¬_¬)」と思う映画を観ました。
随分以前から積んだまま未見だった作品なのですが、これがまたアニメになったり、白黒になったり、スローになったりと、随分節操無い効果のオンパレードで(苦笑)

ここで突然、基本的な話になってしまいますが、例えば赤ちゃんが泣くとします。
お腹が空いたのか、おしっこして不快なのか、親の顔が見え無い事が寂しいのかは分かりませんが、いずれにせよそこにあるのは理由があって必然的に生まれた表現です。

つまり、漫画でも小説でも映画でも、媒体の別無く表現には必ずそれに伴う必然性があります。
(特例として全く必然性のない処に表現を加える事で違和感を出す場合もありますが、これは読者に違和感を感じさせる為の表現手法の一つなので、結局これも必然性のある表現となります)

それが無い、表現の為の表現は、結局只の技術披露の見本市に過ぎません。
そんな極々当たり前の事にすらも最近の表現者には考えが及ばないのでしょうか…?
何だか昨今の表現媒体全てに言える事ですが、技術的な部分や見た目の部分の精度が上がるのに反比例する様に、質が著しく低下の一途を辿ってる様な気がしてしょうがありません。


ま・人の振り見て我が振り直せで、他山の石として僕自身改めて戒めないと! と思った本日でした。

*ちなみに某密林ではわりと高評価レビューが並ぶ作品の為、蓼食う虫も─ って事で、当作品をお好きな方に配慮する上でも作品名を出す事はあえて控えさせて頂きます(苦笑)
2015-02-19 : 露天ブロ : コメント : 0 :
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